釉薬について
■釉薬(ゆうやく)■
従来釉薬は木灰を使用していますが、これは昔陶器を作る時、柴/薪で焼いていた際、偶然その灰が土器の表面に附着して光沢を生じ、その為吸水しない事がわかってから釉薬に灰を混入するようになりました。その後、くす灰・楢灰・雑木灰・わら灰等々が使われていましたが、明治時代頃から天草石、陶石類が使われるようになりました。
■志野釉■
陶器全般に中国や朝鮮からわたってきた中で、“志野”は日本で生まれている。 色々な説があるが、利休時代以降に完成されたと言うのが妥当であろう。 他の釉薬が色々な原料を混ぜて調合するが、「志野釉」は純粋な「長石」だけを施釉する。不透明な乳白色をしており、特別濃厚に施され、器全体に貫入(かんにゅう)亀裂があり、茶渋などが入りやすく使用前と後ではまったく変わってしまう。 この為に、お茶人には特に喜ばれたようである。種類としては、「絵志野」「無地志野」「赤志野」「紅志野」「鼠志野」などがある。 ご使用の前には、注意事項をお読みになりご使用ください。
■南蛮釉■
素焼き(700℃~900℃で焼いたもの)とよく間違えられますが、鉄分を多く含んだ粘土を無釉で高温(1000℃~1250℃)で焼成すると、中の鉄分が溶け、石のようになることから、「炻器」と言われる。肌色は自然の粘土で、不揃いで色目は一定しません。焼成温度によっても色目が異なります。昔から水を入れる「瓶」や「壺」に多く用いられた。 「南蛮」とは元々茶人、道具屋仲間の慣用語で、明治以前は外国、特に南方方面からの輸入品を指した名称であった。
当窯の「南蛮釉」は赤土粘土で製造し、その上に薄い「鉄釉」を施釉しています。
■均窯(鈞窯)・月白釉■
「キンヨウ」「ゲッパクユウ」と読みます。中国江南省萬州(宋元時代1000~1400年の鈞州)で焼かれたものの総称で、時代により「宋鈞窯」「元鈞窯」と呼ばれています。
中でも宋時代の物が最も美しく、青い濁釉で月白釉や天藍釉と称され、紅斑のあるものもあり、古来中国では高貴な焼き物として、珍重されていましたが、わが国ではあまり好まれないらしく、この釉薬を研究する人が少ないようです。
月白釉・天藍釉とも空の色を指しており、月が山から出てくる少し前、空が青白くなる様を月白という所から、取った名称です。
■焼〆■
登り窯で焼成した時に、自然に薪の灰が降ったような感じに仕上がるように、釉薬を薄く吹きつけています。鉄分を多く含んだ釉薬を霧吹きで薄く吹きつけることにより、濃淡がでます。肌色は一つ一つ霧吹きでかけていますので、不揃いで色目は一定しません。焼成温度によっても色目が異なります。
■ワラ灰釉■
まさしく「わら」を灰にして、調合した釉薬です。わらの灰は、毎年変化しますので、一定しません。
「焼〆」と同じように霧吹きで吹きかけたり、器全体をつけて施釉します。
霧吹きで吹きかけると「焼〆」によく似ていますが、少し光沢があります。よく掻き混ぜないと沈殿します。
■白磁(白瓷)■
中国の六朝時代に純白の磁器が作られていますが、青磁とともに東洋独自のものです
■青磁(青瓷)■
白磁と同じく中国の六朝時代に作られ、我国では平安時代に伝来しました。鉄を着色剤として還元焼成した時に青緑又は淡黄色になります。
我国では青磁を大別して砧(きぬた)青磁・天竜寺青磁と七官青磁といわれるものがあります。砧は別に雨過天睛ともいい、雨上がりの空のような青色のもので、天竜寺は遠い連山の翠色、また七官青磁は緑黄色がかかったもので貫入のあるものを言います。
■結晶釉■
肉眼でよく見ますと結晶の有る釉で、これには亜鉛結晶、チタン、マンガン結晶等があります。
■るり釉■
釉薬の成分はコバルトやマンガン等で褐色です。チタニウムを含んだものは黄褐色をしています。
■辰砂釉■
中国の宋・明時代に作られたもので、銅を着色剤とし、還元焼成した鮮紅色の釉薬です。
■マット釉■
釉薬の中にカオリンのような熔けにくいものを多く入れたもので、光沢を消すので艶消釉とも言われています
■呉須■
釉薬として用いる藍色顔料で、中国の浙江省・雲南省・広東省に産出される黒褐色の鉱物です。その成分はコバルト・カリのほかに少量の鉄・マンガン等を含んでいます。染付けはこの呉須で描いた上に無色釉を掛けたもので、中国では青花と言われています。